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<精神分析入門> 9.現代社会における対象喪失体験と悲哀 死因別統計によると、自殺による死亡者数が交通事故による死亡者数よりも多いということが以前から知られていたのですが、最近では現代の社会情勢を反映しての自殺者の更なる増加が問題になっています。また精神科以外の診療科を受診する患者さん達の中においてもうつ病の患者が増加している、うつ病の遷延例が増えているといったことが久しく問題になっています。それと平行するかのようにして、境界性パーソナリティ障害を中心としたパーソナリティ障害、摂食障害、手首自傷などの衝動的自己破壊的な行動といった問題を呈する人たちの増加が精神医療現場で重要な課題になっています。日本精神分析学会でも境界例と自己愛(パーソナリティ障害)に関する多数の演題が毎年報告されています。逆に、古典的な神経症の症例が減少し、精神分析的なアプローチのトレーニングの対象となる症例に出会うことが簡単なことではなくなっています。 こういった時代の流れを眺めてみますと、おそらく次のようなことが言えるのではないでしょうか。 従来は対象喪失体験からの悲哀と喪の過程を神経症形成によって自己の症状として苦しんでいた人たちが、現代では悲哀を神経症症状の形で心の中に、(部分的であるにせよ)コンテインすることを放棄して、行動によって他者の心の中に強引に押し込もうとする人たちが増えてきているのです。つまり神経症からパーソナリティ障害へと精神病理水準が移り変わってきているのです。 抑うつは悲しむことに耐えられないために起こってきている病理的な事態です。悲しいことを悲しむことは健康なことなのです。このことは当たり前のことのようですが、最近の世の中の風潮として「うつ」という気分を「落ち込む」、「へこむ」といった表現で気軽に口にされてしまいやすいようです。うつ、落ち込みdepressionという言葉の使い勝手のよさがあります。逆説的に、悲しいという言葉はいまや深刻なニュアンスが強くなりすぎて日常語としては遠ざけられている傾向にあるのかも知れません。私たちは悲哀、悲しみに対してとても傷つきやすくなっているのでそれを忌み、排除しようとしているのかも知れません。 精神科や心療内科の受診も、こころの痛みの手軽な痛み止めを期待されてのことがしばしばあります。もちろん幸か不幸か抗うつ薬にはそのような都合のいい効果はありません。たとえば私は抗うつ薬を処方する時は、「自律神経の疲労を回復し、睡眠を確保する効果のあるお薬です」といった説明をします。 もう一つ、最近、私が福岡に来てから考えるようになたのですが、昔だったら顕在性の精神病状態やそう・うつ状態になっていたであろう人達が人格障害の殻をかぶって我々の許に来ているという可能性です。このような人達は、抑うつ状態が遷延化していたり、エピソディックに被害的になったり、衝動的な暴力行為や自己破壊行動に走るという特徴があります。いわゆる潜伏性精神病、ないし、こう言ってよければ、潜伏性双極性感情障害です。彼らは症候学的にはパーソナリティ障害と診断されるのですが、抗精神病薬や気分安定薬にしばしばよく反応します。つまり、神経症の人達がパーソナリティ障害化するだけではなく、精神病や双極性感情障害の人達も見かけ上はパーソナリティ障害化してきているために、昨今のパーソナリティ障害の患者さん達の激増という現象をもたらしているのだと思うのです。 |