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<精神分析入門> 8.脳と心 フロイトは晩年に、彼の著作の中で最も気に入っているものは何ですかとの質問に対して、「性欲論三篇」と「夢判断」だと答えたそうです。そして彼の遺稿となった「精神分析学概説」の中で彼は脳と心の関係について、脳の存在を伴わない心は存在しないから、心よりも脳の方が完全な存在であると述べています。ここにフロイト自身の中にすでに相対立する二つの思考の流れがあることを私たちは見て取ることができます。すなわち一つは、もともとフロイトが脳・神経系の発生学の研究を出発点としたところからの医学生物学的な思考であり、これは従来の古典的な論理に則った思考です。フロイトはこの心的過程を二次心的過程と呼びました。「性欲論三篇」にあらわされている生物学的な欲動論は、当然のことながらこの論理で説明されています。もう一つが、「夢判断」で明らかにされている夢の世界、無意識の世界に特徴的な思考です。その思考には、古典論理すなわち二次心的過程とは違って、象徴化、視覚化、劇化、圧縮、混交、対立物の逆転、無時間性といった特徴があります。これは非古典論理であり、フロイトはこれを一次心的過程と呼びました。 私たちの日常の生活は、よく見てみますとこの古典論理・二次心的過程と非古典論理・一次心的過程が入り混じっている二重論理構造になっていることがわかります。古典論理・二次心的過程によって営まれているはずだと従来考えられていた私たちの覚醒時の意識的な体験の中にも非古典論理・一次心的過程が入り込んでいるのです。このことをフロイトは「日常生活の精神病理学」の中で豊富な実例をあげて解明しています。また、そもそも神経症や精神病の存在自体が非古典論理・一次心的過程にもとづく現象でありましょう。 実は、フロイトが生を享けた19世紀後半から20世紀初頭にかけて様々な学問領域でそれまでの古典論理に基づく論理体系では説明のつかない現象が相次いで発見されました。これは諸学問の危機と呼ばれる現象です。たとえば、数学の領域における非ユークリッド幾何学や不完全性定理、物理学の領域におけるハイゼンベルグの不確実性原理から始まる量子力学、アインシュタインの相対性理論、哲学の領域ではフッサールの現象学から始まる一連の流れ、言語学におけるソシュールの認識、そしてそれこそ心理学・精神医学における無意識の発見などがそうです。これらはいずれも共通した意味合いを持っています。それは、ある一つの意識的な古典論理的な理論体系は本質的に不完全なものであってその体系の真実性を証明するものがその体系の中には存在しない、人間が信じている物事というものは常に全体集合の中の部分集合に過ぎないということです。 ですから、心を全体として把握しようと思うなら、非古典論理的な論理の世界である無意識的な領域の存在を認めざるを得ないということになります。そのようなものとしての無意識は、必ずしも生物学的に規定されるものではないのです。 さて、このようにフロイトが精神分析学を創始することで果たした人類史的な意味は、心の世界をより広げ深めることでした。つまり、医学生物学的な思考を超えた領域が心の世界にはあるのだということにあったのだと思います。しかしフロイトの中では先に述べましたように最後まで心を生物学に還元しようとする思考が続いており、その後の精神分析学の展開において混乱をもたらしたと私は思います。このことにいち早く気づいたのがユングだったのです。しかし精神分析学の内部でも医学生物学主義に対する反動が起こってきました。その一つがコフートによる自己心理学です。 もう一つの潮流があります。それはフロイトの直弟子であるカール・アブラハム―メラニー・クラインという流れです。クラインはフロイトの生と死の欲動論に忠実に従っていたつもりで子どもの精神分析を続けていました。しかし、彼女が解明していった抑うつ態勢、妄想-分裂態勢、その中で明確になった投影同一化と分裂機制といった心的メカニズムの認識は、すでに生物学的な枠を超えた精神分析的な思考の産物です。クラインの出発点は素朴に古典論理的な医学生物学的欲動論にあったのが、行き着いたところは非古典論理の世界だったのです。 精神分析の中の古典論理と非古典論理の問題を解決することに衝撃的な業績を上げた人がいます。南米のチリ出身のマテ・ブランコです。彼はイギリス精神分析協会でのトレーニング中にクラインから強い影響を受けました。その後アメリカに渡って自我心理学が主軸となっていた精神医学のトレーニングを受けました。自我心理学は固有の精神分析の思考を生物学的な古典論理で説明しようとする方向性を持っています。しかしこれはもちろん原理的に不可能なことです。それをマテ・ブランコは、集合論と多次元空間論という数学的な手法で解決しようと試みました。全体としての心は全体集合と考えることができます。これは見方を変えると心も対象も、ちょうど現代物理学が宇宙空間は多次元構造になっていることを解明しているように、つまりは心的空間もやはり多次元構造になっているということを言っているのです。彼はこの考えに基づいて初めてクラインの投影同一化を始めとした非古典論理的な現象や概念を説明することができたのでした。 |