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<精神分析入門> 7.向精神薬の投げかける問題提起 1952年にクロールプロマジンの抗精神病効果が確認され、統合失調症の薬物療法が可能となりました。相前後してリチウムの抗躁効果も確認されました。さらにその数年後に、クロールプロマジンの誘導体であるイミプラミンやモノアミン酸化酵素阻害剤に抗うつ効果があることが見出され、うつ病の薬物療法も可能になりました。誠に画期的なことであり、ペニシリン、ストレプトマイシンといった抗生物質の発見に比すべき医療革命を人類にもたらしたと言えます。 しかし、次々と開発される薬物の目覚しい効果は、確かにある側面では事実ではありますが、混乱ももたらしました。薬物の効果があるから「精神疾患は脳病」、更にはこころ=脳という過度に単純化された、(否認、万能感、理想化、心というものに対するある種の蔑視・勝利感・支配、つまり躁的防衛と言ってもいいような)生物学的物質還元主義への退行です。それゆえ心理的な過程の理解とその理解に基づいたアプローチという発想そのものが起こりにくくなってしまう危険が出てきたのです。つまり、精神疾患の本質を単純に生物学的なものだとしてしまうと、精神科医の仕事は、診断をつけた後の薬物の選択と症状の改善の評価という単純作業になってしまいます。また、さらには開き直って、これがサイエンスだと信じてしまう危険さえあります。また現在でも薬物の効果が認められない症例や症状が少なからずあるのですが、将来それらに対しても有効な新薬が開発されるだろうというメシア信仰のような期待を持ってしまうこともあります。 薬物の心理現象におよぼす生物学的な効果の過大評価は、フロイトの生きていた時代にも増してこころ=脳という単純化を促しているように私には思えます。統合失調症や躁うつ病(双極性感情障害)、うつ病の診断がつけば生物学的なアプローチが全てであるかのような先入観に捕われてしまい、その結果、他の視点からの理解の可能性と必要性が見えなくなってしまうのではないでしょうか。このような見方が神経症やパーソナリティ病理の水準の人たちにまで及んでしまうと、事態ははるかに深刻です。 要約すると向精神薬の薬理効果が、限られた対象の、ある限られた症状に対して存在することには確実なエビデンスが認められているところではありますが、このことが過大評価されることによって疾病の理解が素朴に単純化され過ぎてしまうという問題が引き起こされていると言えます。つまり、その時点で病者の心を理解しようとする試み自体が考えられなくなってしまうのです。 |