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<精神分析入門> 12.うつ病の精神分析的な理解の歴史 1.アブラハムからフロイトへ 私たちにはすでに、アブラハム(1911、1924)、フロイト(1917)の先駆的な研究に始まる抑うつの心理的な理解の歴史があります。抑うつはその個体によって病理の深さに違いがありますが、もっとも深い病理構造を持つ精神病性の抑うつや躁うつ病から抑うつの精神分析的な研究は始まりました。何事も壊れ方の激しい方が物事の本質が露呈していてわかりやすいということもあるのでしょう。それにしてもこの二人の業績は現代においても全く変わらない最大の価値を持っていると私は思います。 フロイトはその経歴初期のヒステリー研究の時代に、ヒステリーの患者たちは彼女らの愛情の対象が病気で苦しんでいれば彼女ら自身がその病気の症状に同一化することにより彼女らの愛情の対象そのものに成り変っていること、すなわち取り入れ同一化という現象を観察していました。そこには愛情と憎しみ、罪悪感が働いていることに彼は気づいていました。 それから彼は、自らの父親との死別体験とフリースとの転移体験を深く内省することによって、エディプス・コンプレックスを発見しました。それは、母親に対する深い愛情と同時に、フロイトのもう一人の愛情の対象であった父親に対して憎しみを向けていたという抑うつ的な罪悪感の自己認識からの発見でした(母親に対する憎しみの問題はカール・アブラハム、メラニー・クラインの登場を待たねばなりません)。 その頃の1897年のフリースへの手紙の中でもフロイトはうつ病者の罪悪感と攻撃性に関する着想をすでに記しているのですが、後にフロイトの直弟子であるアブラハム(1911)が躁うつ病の精神分析の先駆的研究を行ったとき、それに触発されてフロイト(1917)は「悲哀とメランコリー」を著しました。そこでフロイトは、悲哀は正常な心理過程であるがメランコリーは病理的な過程である、とりわけ自己非難という現象がメランコリーには顕著な特徴として観察される、そしてメランコリー患者は愛と憎しみのアンビヴァレントな対象との間で自己愛的同一化を起こしており、何を失ったのか意識できなくなっていること、対象世界が空虚になるのではなく自己が空虚になっていること、などを明確にしています。その後フロイトはうつ病の研究からは離れて、対象のとり入れ―超自我形成―超自我と自我との間での葛藤としての不安と(処罰型)罪悪感の考察を進めていきました。 |